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ボスニアのコーヒー②

これもボスニアのコーヒーに続く話。実はボスニア、約400年の間、オスマン帝国の支配を受けていました。前の記事に書いたボスニアのコーヒーもトルコ人からきた風習です。 しかし、ボスニアという国は長い間他の国の支配を受け続けたために自分たち独自の文化を持とう、という強い気持ちがあった訳です。 そしてこのコーヒー。トルコと一緒だよね?!と思う人もいると思います。しかし作り方が違うんですね。 トルコはジェズバでお湯を沸かし、コーヒーを入れしばし待つ。そして砂糖も一緒に入れて飲む、これがトルココーヒー。 ボスニアコーヒーは、作り方が違います。 ジェズバを二つ用意して、一つは水を沸かし、もう一つではコーヒーを煎ります。 コーヒーの香りが立ってきたら、少しずつジェズバのお湯をコーヒーが入っているジェズバへ入れて行くんです。ゆっくり作ることで、コーヒーの粉のざらつきが違うんです。 コーヒー一つでも歴史的背景がわかるんだなーと思いました。

ボスニアのコーヒー

今日のテーマはボスニアコーヒー。 写真にあるのがまさにそれです。 みなさん普段飲んでいるコーヒーとは少し違うんではないんでしょうか?作り方も一味違います!日本では茶道があります。ボスニアでも伝統的な飲み方があるんですよ。 まず写真にある蓋なしのやかんのようなもの、ジェズバにコーヒーが入ってます。上澄みをティースプーンですくい、カップに入れる。 そのあとにコーヒーを注ぎ、粉が沈むのをしばし待つ。 小さなカップに入って炒るのは角砂糖とお菓子なのですが、絶対コーヒーに入れてはいけません。 砂糖、お菓子をかじりながら濃いコーヒーを飲む。 これが伝統できな飲み方なんですよ。結構濃いめのコーヒーなので甘すぎない美味しさです。一気に目がさめる味わい。日本で出されているドリップコーヒー、またエスプレッソとは違う味わいです。 またボスニアはお家に人を招くことが多く、そこでもコーヒーに関するマナーが。 もちろん、コーヒーが好き嫌いに関わらず最初の一杯はコーヒーで始まります。ようこそきてくれましたね、という歓迎の意味があるそうです。 2杯目はお話しよう。世間話に花が咲きますから2杯目はお話ししながら飲みます。 そうすると3杯目が出てきます。しかし、これはこれを飲み終わったら帰ってね、という意味があるそうです。 面白い!ホストはゲストの滞在時間をしっかりコントロールできるわけです。長居されて困るっていうことはないわけです。 違う国の文化を学ぶのって本当に面白いです。

ボスニアへ再び③

翌日は、歩いてポトチャリのメモリアルセンターへ向かいました。 猛暑でしたが、すごい人だかり。普段は人気のないスレブレニッツァですが、この日はボスニアまたは、世界から人が集まるそうです。ムスリムのお祈りの歌が響き、道路にはチェバプチチやジュース、コーヒーが売られています。 途中でなんと私の名前を呼ぶ声が聞こえました。 ふとみると、私の仲間のうちのひとりではありませんか!うわあああああ! もう見つけた瞬間人をかき分けてハグしたよー。それはまるで映画のワンシーン。 元気?学校はどう?今年の調子はどう?とかたわいない話をする私たち。去年は私、ボスニア語全然わからなかったけど、なんとかできてすごく嬉しかった。 みんな私の事を覚えてくれて、昨日あったように普通に、でも暖かく再会できて、心にしみました。野原でコーヒーを飲んだ後、私たちは博物館に向かいました。 中に入ると、ただっぴろいコンクリートの部屋。 壁には当時非難していた人々の写真や、発掘作業の様子、親をなくして彷徨う子供の写真などが展示してありました。更に奥に進むと、光もあたらない暗い場所が広がります。携帯電話の灯りをつけて進みます。すると血痕と思えるようなもの、狙いを定めるために描かれた的のようなものが壁に描かれており、生々しい跡が残っておりました。ただただ重くなりましたね。 言葉もなく、そのまま私は一旦友達に別れを告げて宿へ荷物を取りに向かいまして、ファミリーに別れを告げてサラエボへ向かいました。 次はサラエボ偏です。

ボスニアへ再び②

簡単な自己紹介をして、部屋へ案内された私はいささか緊張しておりました。 どうやら、初めて本物の日本人を見たようで、ホストファミリーの人もなんだかそわそわ。 でも、テラスに案内してくれてコーヒーと自家製のジュースをごちそうになりました。 1時間くらい話した後、私は歩いてポトチャリのメモリアルセンターに行きました。 猛暑だったので、扱ったけど、途中ピースマーチに参加している人を見て、一気に興奮し早歩きで向かいました。しかし、本当に暑い。照りつける太陽の日差しの強さと言ったら、もし日焼け止めを塗らなかったら、絶対やけどしちゃうよーと思う程です。 30分くらいかな?歩いてメモリアルセンターに到着。すでに人ごみで一杯です。去年の今頃はまだ森の中を歩いていたので、この光景を見るのは初めて。たくさんのバス、タクシー、車が道に駐車され、たくさんの警察がうろうろ。そして今年埋葬される遺体をおさめるお墓が建てられていました。このお墓は緑色をしているので、どれが新しいお墓なのか一目瞭然です。 早速博物館の方へ向かいました。たくさんの人が日陰で休んでいます。博物館はこの日閉鎖されていたのですが、向井側にある大きな部屋にたくさん人が入っている様子。私もその波にのって向かいました。なんとそこには、緑の棺が並べられていました。そうです。今年埋葬される遺体がならんでいたのです。今年は520体が埋葬されます。死者を特定するのにDNA鑑定などをやるので、時間がかかるんですね。棺には、生年月日、名前があり、誰がいつ死んだのかわかります。ただ広い部屋に均一に並べられている棺をみると何とも言えない重い雰囲気。家族が棺と対面して、涙する光景は何とも辛いです。17年後にやっとですからね。そこに群がるフォトグラファーが一斉にシャッターを押している光景を見ると・・・。おそらく来年も何百体の遺体の身元が判明し、埋葬される事でしょう。 そこを離れて、周りをブラブラ。日本人が手ぶらで歩いている様子をまじまじとみるボスニア人の視線に耐えながら(笑)かつてテントを建てて泊まった場所に行きました。まだ友人はいない様子。時が経つのは早いなと重い、そこを後にしました。 また歩いて戻る中、途中車が私の横にとまったのです。こわいよーと思ったら、助手席に座っていた少年が私に席を譲ったではありませんか!かれが後部

ボスニアへ再び。

本当に、本当にお久しぶりです。 久しぶりに書くブログは、先日訪れたボスニアです! 去年の今頃私は初めてボスニアに行きましたが、そのときは不安で不安で仕方がありませんでしたが、今回はただ楽しさだけ。一度行くと、旅支度もさささっとできるものなのですね。 7月9日から12日まで滞在しました。目的地はスレブレニッツァとサラエボです。 去年はmarš miraというイベントに参加しましたが、今回は去年見る事ができなかったミュージアムを見る事と、友達達に会う事を目的に行きました。計画では、スレブレニッツァは日帰りの予定で、残りはサラエボ、そしてモスタルへいくはずでした・・・。 しかし、計画通りには何事もいかないものでして。。今話します(笑) リュブリャナを7月9日の夜7時15分のバスで出発。片道45€の切符で行きました。 国境を2回超えてサラエボに着いたのは朝の4時55分。スレブレニッツァ行きのバスは1日一回、朝7時10分のバスだけ。帰りのバスも夕方4時半の一本だけなので、逃すわけにはいかずすぐに切符を買って、待ちました。片道20マルク。つまりだいたい10ユーロです。 しかし、待っても待ってもバスがこないんですね。翌日はスレブレニッツァで戦死者を弔うセレモニーがあるので、一般人からフォトグラファーの人まで長い列を作って待ってたのに、遅れたやって来たのは、違う行き先のバス。 ボスニア人のおばちゃんがバスについて聞くと、「もういちゃったよ」と運転手。 「そんなことない!」とか議論が始まって、数分後に違うバス停にスレブレニッツァ行きのバスが到着。安心したけど、道路の渋滞でなかなかスレブレニッツァにつかないのです!なんと6時間もかけてスレブレニッツァに13:30ころ到着。 私も馬鹿だったのですが、その駅から、ポトチャリというメモリアルセンターは6キロもあるんですね。何も食べてなかったし、猛暑のなか重い荷物を引きずって行くのは嫌だ!ということで急遽泊まることにしたのですが、宿がない(笑) 途中でみた看板にsobe(ボスニア語で部屋)というのをみたので、そこを頼って部屋をたのむも、今は満杯で部屋がないとの話。しかし、宿主が知り合いに頼んでくれて、そこに泊まらせてもらう事に!計画しないでもなんとかなるものですね〜。 宿主も彼の知り合いも英語が話せたので、

My note of a journey to Bosnia! (5)

  The morning of the last day! Last naight we ate snacks and had a drink and talked a lot. I slept very well! It was really good not to rain, but it was so hot. Look! Do you see long line of partipants? It is like snake!! Today's road was narrow and rough.    This is Orthodox church. Orthodox is Serbs' religion. As I mentioned before, Muslims. Catholics and Orthodox have lived together peacefully in Bosnia. In western Europe same Christianity group triggered religious wars. Compare to that, Bosnia was so peaceful country.   This is traditional Serbian house. They had same design house for live stocks. I remembered that I watched caws, and sheep!!   We had take a rest under the cherry tree. One of my friends climbed tree to grab cherries! I really wanted to do that, but my food was so awful. I gave up and just concentrated on eating.  Potočari! We will reach the goal soon! But it was far awaaaay.    Evo ti. Here is Srebreica. This is grave for victims. Did you see green graves

My note of a journey to Bosnia! (4)

The Second day of marš mira!! I just slept for 3 hours, because it was uncomfortable for me in the tent. I could not sleep at all, I walked around. It was 6:00am. Some people already departed, but my friends still slept well, maybe because of "party" :D  Everybody woke up at around 7:00am and washed teeth and face and got ready for march! Already sunshine glared on the ground. I put sun block on my body and we went! We took a great photo, but I just announce, because of privacy problems :)  You will guess that beautiful nature make me relaxed, but in fact, my food was so hurt. Other members were so lively and walked fast. Further, they had appetite, so ate a lot. Of course I had nothing appetite.  Bosnian Muslims escaped from Bosnian Serb Army through the river in a photo. I imagine that scene. Beautiful landscape and the reality of war was so different.,,,I just stared at the river.  Today's most hard part was the UDRČ. We climbed up 1043m. I have read  UDRČ had so ro

My note of a journey to Bosnia! (3)

Around 16:00, people began to gather to Nezuk. I did not expect that so much people participate in marš mira. People of my group came many times in marš mira, so they are expert and have a lot of friends. I was supposed to sleep with my group, but some guy invited me to stay his house. He is manager of gathering place in Nezuk. I felt so bad, but my friends said no problem, so I stayed his house. He has a lot of fruit trees. We picked up plums and peers and ate them up. His wife served delicious foods and juice. Everything is home made!!! I was really hungry, so I just ate them up :P When I was eating dinner, I met Aida. She is niece of that guy and studies math in University of Tuzla. She guided me Nezuk. We talked about a lot of stuffs. After the dinner, her brother and his friends came his home to have a coffee. Everybody is so lively and funny guys. They called me Yoko, anyway, I do not  mind. I was just so happy to meet nice people and excited to go marš mira ;)  In the morning

My note of a journey to Bosnia! (2)

The first day in Sarajevo, I did not have specific plans. I searched place where I wanted to visit, and went to. It was great. I could talk with Bosnians and French guy. However, the second day is totally different. Since I was in Japan I had planed to participate in marš mira!! I woke up at 7:oo am and had a break fast and watched news. Sarajevo TV news casters spoke on television about marš mira, so I was excited :D I left Sarajevo at 11:10.   This is the main bus station in Sarajevo. Be careful, we cannot pay by credit card! You have to prepare enough Bosnian mark. I bought a bus ticket to Tuzla. It was 20 mark. In Croatia and Sarajevo, we have to pay about 1 euro to put big luggage in trunk.    Anyway, my final destination is not Tuzla, but Nezuk. But in sarajevo nobody knows where is Nezuk. I knew that Nezuk is located in Tuzla district, so I believed that I could manage everything when I arrived at Tuzla.  It took three hours to Sarajevo to Tuzla including rest time. It was v

My note of a journey to Bosnia! (1)

I tripped to Bosnia from 5 to 12 July! My purpose to participate marš mira. I will explain about it next time, but today I will tell audiences my Sarajevo's trip with photos ;) The hostel is really cheap, one night per person is 9 euro.  I booked one day before I leave Ljubljana. Owner picked me up for free. He was really friendly. When I arrived at Sarajevo, it was already around 22:00. I slept soon when i arrived at hostel, because I was really tired of moving from Ljubljana to Sarajevo. Anyway, I  could use a  big room for myself!  This is the orthodox church. It is located in near my hostel. I woke up early morning.  And  I found it out!  This is Ali Pasha Mosque. On the way to the bank, to exchange money. I found it out.  It was built in 1560. Bosnian Sanjak-Bey Hadim Ali-Pasha contributed to built it.  The Mosque is located near center of Sarajevo. The mosque got heavy damage during the Bosnian War from 1992 to 1995. In 2004 the mosque was restored. Anyway,