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解体ユーゴスラビア

この本は、 1991 年に書かれた。ユーゴスラビア戦争が始まり、まさに一つの国が解体しようとしていた時、今現在もベオグラードに在住の山崎氏が現地の人々に行ったインタビューを集めた本だ。  最初にユーゴスラビアが建国されたのは、第一次世界大戦後の 1917 年。セルビア人、クロアチア人、スロベニア人によって建国された、南スラブ人の国だった。 3 つの民族はそれぞれ、オスマン帝国、ハプスブルク帝国に支配され、政治的にも文化的にも抑圧されてきた。よって 3 つの民族が力を合わせて、民主的な国家を建国しよういう目標のもと、ユーゴスラビアを建国した。しかし現実は民族的に人口の多いセルビア人による独裁国家となってしまった。少数派のスロベニア人やクロアチア人にとってはハプスブルク帝国の支配となんら変わらなかったのだ。  この憎悪は第二次世界大戦で明るみに出た。クロアチアがウスタシャ、セルビア人がチェトニク、また、共産主義に賛同する者達がパルチザンを結成し、ユーゴスラビア国内で虐殺がおこった。ウスタシェはクロアチア独裁国家を作るために、セルビア人を老若男女問わず虐殺し、無理矢理カトリック教に改宗を強制した。チェトニクはセルビア王国の復興をスローガンに、その思想に反する者を虐殺した。特にウスタシェのしたことは、ナチスドイツがユダヤ人にしたことよりも残虐だと言われているが、民族対立を恐れた、ティトー率いるユーゴスラビア政府はこのことを公にしなかった。  ティトーの死後は、彼の体制や民族に関する批判が公に語る事ができる様になり、過去に隠蔽された真実が明るみに出始めた。政治家達はそれを利用して人々の憎悪をかき立てた。  ティトーが過去をうやむやにしてしまったことは正しいとは思えないが、インタビューから解るのは人々がやっとティトー政権のもと、民族や宗教に関係なく、ユーゴスラビアで幸せな時間を過ごす事ができたという事だ。混血も多く、自分の事をユーゴスラビア人だと名乗る人がいる程、ユーゴスラビアはまとまった国だったのだ。   50 年以上平和だった国は、政治家のナショナリズムやそれを煽るマスメディアの力は、急激な速さで人の心を変えてしまった。メディアに流される人、たとえ真意とは反していても雰囲気にのって内戦を煽る人がいたことは非常に悲しか

バルカンの心

久しぶりの読書でした。今回は田中一生さんが書いた「バルカンの心」について。 この本は、著者の田中一生氏が 50 年以上かけて行った、バルカン研究の総まとめの本である。彼は 1960 年代、国費留学で旧ユーゴスラビアへ渡り、ユーゴスラビア文学を研究した。帰国後はユーゴ作家の翻訳や、セルビア語日本語辞書の編纂に携わり、バルカン文化を日本へ広めるために多大な貢献をした人物である。 バルカンというのは、面積で言うと日本程の広さだが、その歴史、文化や言語など、全てにおいてバラエティーに富んでおり、奥深い。本書は、歴史と文化、文学、そしてバルカンの都市の 3 つの分野に分かれている。この本には、バルカンの人々へのあくなき関心に溢れている。 特に感銘を受けたのはボスニア人文学者、イヴォ・アンドリッチについての考察である。彼は戦後初めて旧共産圏からノーベル文学賞を受賞した。「ドリナの橋」「ボスニア物語」「サラエボの女」「呪われた中庭」の 4 つが特に有名で、彼の小説には多かれ少なかれ橋が出てくる。それはなぜか。田中氏の考察によれば、アンドリッチは東洋と西洋、多くの民族と宗教が混在し、反発し合うボスニアに生まれ苦しんできた。よって、人々を結びつける橋に強い関心を持つようになったといっている。実際、アンドリッチも晩年このように語っている。「この世の全ては橋です。・・・微笑みも、ため息も、まなざしも。なぜなら、この世の全ては架橋される事、向こう岸に至る事を願っているのですから。つまり他の人と理解し合う事を熱望しているのです。」 外国人にとって、政治的また多民族共存の問題から生ずるバルカンの人々の苦悩を理解する事は非常に難しい。しかし田中氏は、外からバルカンを見るだけはなく、生活者の立場になって内部からバルカンを見ようと積極的に人と関わった。さらに歴史の根源を辿るために様々な都市を訪れ、人々の心にある深い本音、あるいは核心に迫ろうと尽力した。だからこそ、どの記事にも田中氏の幅広い教養がにじみ出ており、普通に暮らしているだけでは見えない、バルカンの本質がみてとれる。 私の専攻はバルカン史だ。それはとても重厚で、勉強すればする程、到底この地域を理解するのはまだまだ先だと身にしみている。彼らが歩んできた歴史、乗り越えて

書評 ①

久しぶりでーす。ご無沙汰です。まったくもって何も書いていませんでした。 しかし、本日からエンジン全開で書いていこうと思います。なにとぞよろしく御願いします!!!! 最近本を読む事を始めました。学生なので読む時はどかんと読むのですが、それは教科書的な本。映画やドラマを楽しむように本を楽しむ事を長い事していませんでした。久しぶりに日本語でノンフィクションの本を読みたいなと思い、手に入れたのが石井広太さん作の「レンタルチャイルド〜神に弄ばれる貧しき子供達」でした。 私は彼らの物語に夢中になって、一気に読みました。ここの子供達は親に捨てられ、または売られてしまった。マフィアの連中に故意に手足を切り落とされ、ある物は目をつぶされ、彼らの手下となり物乞いをさせられている。人は普通の貧しい子供にお金をおとさない。障害を持つ割れな子供達に人は沢山の金を払ってくれる。 しかし、彼らが大人になると人は彼らを障害者として見下す。母国語の読み書きもままならず、正しく喋る事ができない彼らに、社会進出など毛頭できるわけがない。彼らは音になってもスラムで生きていく事しかできない。やがて彼らは心底にくんでいたマフィアと同じように、子供を傷つけて彼らから金を搾取する。悪循環が断ち切られる事はないのだ。 子供達は人に利用され、裏切られ、虫けらのような扱いを受け続けている。精神的にも肉体的にも劣悪な環境にさらされ続けている。そんな子供達を支えているのは、仲間同士の友情、誰かに必要とされている気持ち、仲間を守りたいという気持ち、そして希望だ。決して目に見える事のない、でもとても強い感情が、彼らをこんなにも逞しく、強くさせているのかと思うと、非常に心打たれた。彼らはお金も、教養も、知識もなく、その日の食料にも困っている。しかし彼らは人間として大切な物を持っているのではないか。懸命に生きている彼らから、生きる事の尊さを教わったように思う。 私は、人生は自分の意志や努力で切り開いていくものだと信じている。しかし、圧倒的な現実を突きつけられたとき、人は無力だと思った。きれいごとでは絶対切り抜けられないこともある。結局、人は運命や宿命に支配され、その大きな力に逆らえないまま一生終えてしまうのではないかと怖くなった。しかし、それでも私たちにできる事は「懸命」に生きていく事しかない。 ムンバ