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7月, 2013の投稿を表示しています

ボスニアへ再び! :)

ボスニアにまた行ってきました。 今回は、友達とその妹とお母さんと行ってきました。 私が大のボスニア好き、バルカン好きと知っている友達が、彼女の親戚が住む村へ招待してくれたのです。この時期はセイント・ピーターのお祝いがあるという事で、伝統的な行事が見れるから絶好のチャンスだという事に。リュブリャーナから車でおよそ5時間かけて東ボスニア、セルビアの国境にちかいむらビイェリナ(Bijeljina)という村に滞在しました。 ついた夜はババ・バイカ(おばあちゃんの名前)が出迎えてくれて、夕飯を食べて、セイント・ピーターのお祭りの一部であるリラを見に行きました! リラとは、桜の木の皮で作った旗のようなものです。子供達は学校に集まって誰が一番リラを奇麗にふれるかを競うのです! リラ。道端で沢山売られてました。一つ2.5euroくらい。 リラに火をつけて歩く少年。 夜には子供達が各家にお菓子を奪いにやってきます。 元気に走ってやってくる子供達は無邪気で可愛いという一言につきます! 一泊目は電気が泊まってしまうハプニングもありましたが、村の人の温かさにほっとした一日でした。二日目も大冒険です!;)

書評 ①

久しぶりでーす。ご無沙汰です。まったくもって何も書いていませんでした。 しかし、本日からエンジン全開で書いていこうと思います。なにとぞよろしく御願いします!!!! 最近本を読む事を始めました。学生なので読む時はどかんと読むのですが、それは教科書的な本。映画やドラマを楽しむように本を楽しむ事を長い事していませんでした。久しぶりに日本語でノンフィクションの本を読みたいなと思い、手に入れたのが石井広太さん作の「レンタルチャイルド〜神に弄ばれる貧しき子供達」でした。 私は彼らの物語に夢中になって、一気に読みました。ここの子供達は親に捨てられ、または売られてしまった。マフィアの連中に故意に手足を切り落とされ、ある物は目をつぶされ、彼らの手下となり物乞いをさせられている。人は普通の貧しい子供にお金をおとさない。障害を持つ割れな子供達に人は沢山の金を払ってくれる。 しかし、彼らが大人になると人は彼らを障害者として見下す。母国語の読み書きもままならず、正しく喋る事ができない彼らに、社会進出など毛頭できるわけがない。彼らは音になってもスラムで生きていく事しかできない。やがて彼らは心底にくんでいたマフィアと同じように、子供を傷つけて彼らから金を搾取する。悪循環が断ち切られる事はないのだ。 子供達は人に利用され、裏切られ、虫けらのような扱いを受け続けている。精神的にも肉体的にも劣悪な環境にさらされ続けている。そんな子供達を支えているのは、仲間同士の友情、誰かに必要とされている気持ち、仲間を守りたいという気持ち、そして希望だ。決して目に見える事のない、でもとても強い感情が、彼らをこんなにも逞しく、強くさせているのかと思うと、非常に心打たれた。彼らはお金も、教養も、知識もなく、その日の食料にも困っている。しかし彼らは人間として大切な物を持っているのではないか。懸命に生きている彼らから、生きる事の尊さを教わったように思う。 私は、人生は自分の意志や努力で切り開いていくものだと信じている。しかし、圧倒的な現実を突きつけられたとき、人は無力だと思った。きれいごとでは絶対切り抜けられないこともある。結局、人は運命や宿命に支配され、その大きな力に逆らえないまま一生終えてしまうのではないかと怖くなった。しかし、それでも私たちにできる事は「懸命」に生きていく事しかない。 ムンバ