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ボスニアの色々

旅行記をまとめたものの、感想にとどまってしまったようです。 少し具体的な情報を、分かった限り公表します! ボスニアはすごく物価が安いと聞きましたが、確かに安いです。 €の半分とおもってください。今1ユーロは112.889円ですね。( http://quote.yahoo.co.jp/m3 ) ちなみに、ボスニアマルクは、1€=2マルクです! ちなみに、スロベニアでジュースを喫茶店で飲む場合、1.5~2.3€しますが、ボスニアでは2~3マルク。ちなみに首都のサラエボでこの値段です。だから120円から190円程度で飲めちゃうんですよね。 レストランの食事も7€位で食べれるし、私が泊まったホステルも9€。安いんです。 スロベニアでは工事現場で暑い中一日中働くボスニア人の人がいますが、月給は大体500€だとか。また、ドイツで働く出稼ぎ労働者も少なくありません。 また、ボスニアでは汚職が問題です。私の友達は親戚がボスニアにいますが、彼女の知り合いのお父さんは、1年間給料無しで会社で働いているそうです。弁護士に訴えたとしても、会社のボスが弁護士にお金を渡し、まともにとりあってくれないようです。でも知り合いのお父さんは年金を得るために辛抱し、後1年間無給でもとにかく働くといっているようです。なんとも信じられない話です。 まぁ、ボスニアについて、戦争や汚職などマイナスのイメージがとり立たされていますが、最高なのは人の心だと思います。皆自分が持っているものを惜しみなく人に与えることができる人たちだし、とても明るいし、皆そんなボスニアに誇りをもってるし、自分たちの国をもちろん愛しているんです! 実際、ボスニアの人たちと行動をともにして、まぁよくもこんなに明るいなーって感心してたんです。でも3月にベネチアの帰りに会ったボスニア人が言っていました。悲しさもジョークを交えて笑い飛ばすと人生もっと楽しくなるよってね。なるほどなー。すごく強い人たちだなって感動したのを覚えています。 なんか、すごくバルカンについてもっともっと知りたいなっていう欲望がでてきて本当にボスニアに行って良かった!!これからも私の探求はまだまだ続きます♪

ボスニア旅行記⑤

最終日の朝です。前日もみんなでジュースとお菓子をテントで食べながらしみじみとした夜をすごしました。この日はテントでぐっすり眠れました。雨が降らなくて本当によかったけど、この日もあつかったよー。 みてください、長蛇の列!最終日は細くでこぼこの道をひたすら歩きます。 オーソドックスの教会が見えます。セルビア人の宗教です。ここはサラエボの記事でも書きましたけど、色んな宗教を持つ民族が共存していた地域なんですよね。 これはセルビアの伝統的な家だとか。同じデザインで動物用もあるそうです。ところどころで牛を散歩させる人がいたり、羊が草を食べている姿もみたので、家畜は大事ですね。 この日も相変わらず暑い日が続きました。休憩中に仲間の一人が木に登ってさくらんぼをとってくれましたー!彼、前にも黄色いさくらんぼくれたりして、自然に精通しているようです。私ものぼりたかったけど、脚が痛くて断念。食べるのに専念していました(笑) ゴールが目前!でもここからが長かった(笑)本当に。  ついたーー!!!!!。スレブレニッツァです。この緑の石がありますね。これは今年埋葬される人のお墓です。遺体が掘り出されても、誰かを特定するのにとても時間がかかるんですね。 これは石碑です。左側には殺害場所がかかれています。8372...の意味は、8372人以上死者はこれからも発見される。という意味です。未だに、具体的に何人死んだのかは分からないのです。でも10日間で8000人以上、しかもマスグレーブをつくって掘り起こし、また違う場所に遺体を埋めなおすなんて、計画的で残酷な事件だと思うわけです。 この屋根の下でセレモニーがあります。でも私はイスラム教じゃないので参加できません。 棺です。人が運んだものがならんでします。今年は600体以上の人が埋葬されます。本当に言葉がありませんでした。 いざついてみると、拍子抜けました。部外者の感じが否めなくなってしまったからです。スレブレニッツァには真剣に故人をしのぶために遠方から来た人々がいて、悲しみにくれている姿を目の前にすると、言葉がなかったです。幸か不幸か自分は戦争を経験したことが無く、この事件も本だけで読みました。しかし、百聞は一見にしかずとはよくいったもで、、無くなったボスニア人と同じように、真夏の中100KM歩いたことで、戦争の悲惨さや残虐性が痛いほど分か

ボスニア旅行記④

マルシュミラ二日目!実はテントの寝ごごちがよくなく、なんと睡眠3時間。なんとしても眠れないので、朝散歩したりしてすごしました。朝の6時くらいでした。中には太陽が昇らないうちに出発しているグループも。私のグループの皆は前日の”パーティー”のおかげでぐっすり。 7時くらいにおきだして歯を磨いたり顔を洗ったり準備をしたりして、しかもみんなと話したりして(笑) 朝の9時近く。すでに太陽がじりじり。皮膚病予防の為に日焼け止めを塗って出発!!記念に一枚。載せたいところなんですけど、プライバシーが面倒なので報告だけ(笑) こんな綺麗な自然があるとなごむなーと思いますが、実は私足が痛くて痛く空元気だった気がします。他の男たちは元気満々で凄かった(笑)しかも、パンとか肉をよく食べるし、暑さで食欲がない。けどみんなここでなんかくおーぜーとかいって、食べる始末。この川は実際ボスニアの男性がセルビア兵から逃れるために泳いで渡ったという川だそうです。綺麗な景色と現実がなんとも非対称で口をつむぐ私でした。 教最大の山場がこのウドゥルチ!山です。1043mのぼります。ここをボスニア人たちは逃げ切ったわけですが、大変険しい道と本に書かれていましたので、覚悟しました。汗が瀧のように出てびびりました。このプレートの近くで休憩中になんとこんなものをみつけました。 ピストルのたまです。15年たっても残っているなんて、信じられない・・・・・。 30ほど歩いて、休憩ここでの無料でコーヒーが飲めます。自分ものんだし、少し横になって体力を温存。それにしても陰を探すのが大変だった。ここで海外からの参加者の人にも遭遇しました。カナダやアメリカから来ている人に多く会いました。 この薄暗い緑の部屋は無くなった人の名前と生年月日がかかれています。今年新しく建てられて物らしく、全員分の名前はかかれてないと思いますが、3歳の子供まで殺されたと思うと胸が痛みました。 これは昔学校でした。ここでも、セルビア人はボスニア人を集め一度大量に殺された場所だそうです。近くに(歩いたら遠い距離でしたが)マスグレーブがあったので余計生々しく感じました。 この暑さと睡眠不足からくる疲れと足の痛さがやばかったのですが、日本人の参加者に会いテンションが爆発(笑)写真を撮って、少し歩いた後分かれました。凄くうれしかった(笑)川で休憩した時、

ボスニア旅行記③

私がネズクについたのは、16:00ごろ。だんだん人が増えてきました。 凄い人だかりです。ボスニア人のグループに入れてもらいましたが、どうやら彼らは常連さんで、友達も結構多く、プレスの人や顔なじみの人とたくさん自己紹介したりされたりして、今でも私がここにいるのが信じられないという状況でした。本当は皆と一緒に車で寝泊りする予定だったんですが、ネズクの集合場所をしきっているある男性が家に招待してくれたのです!せっかくだから家に泊まってよ!ということで、お邪魔しました(笑) 彼の家は集合場所のすぐ近くにあります。スモモ、梨、リンゴの木が家に植えてあり、とうもろこしまでばんばん育っています。朝からあんまり何も食べてなくて実は超腹ペコだった私。 彼の奥さんが家で取れたラズベリーとそのジュース、お菓子、料理をくれましたー!もう感激しながらさっさと平らげる私。そうしている間に日が暮れて、かれの兄弟の女の子が着てくれました。 アイダという子は数学を勉強している女の子で、英語ができる!助かったー(笑)色々最近の学校事情にはなしたり、モスクに連れて行ってくれたりして、親切な女の子でした。 相当日本人が珍しいのか、行くところ行くところでじろじろみられるのがちょっと苦痛でしたけど、みんなすごく興味をばんばんストレートにだしてくるから、こっちもバンバンみんなと交流できました。 彼の親戚やアイダの兄弟やその友達もミラに参加するということで一緒にお茶をのんだり、朝ごはんを食べたり、楽しみました。私のことをヨーコってみんな呼ぶんですよー。みんな知ってる日本人がヨーコ・オノだからなんだってー(笑) みんな外でご飯をたべます。超おいしかったし、楽しかった!お母さんありがとう! 出発の朝。美人のアイダと優しいお母さんと。 見ず知らずなのに家に招待してくれたお父さん。また会いたいです! また集合場所に戻り、出発を待つ私。これまた信じられないことに、サラエボTV にインタビューされました!とにかく今はマルシュミラのことで胸が一杯です!8時ころに私たちのグループが出発しました! とにかく長い人の列。沿道では手をふるネズクの人たち。でもとにかく暑い・・。今思い出しても本当に全然道が平らじゃなくて先が思いやられました。 見てください。彼は草で涼しげなぼうしをつくりました(笑)しかも彼、この日一日中ビ

ボスニア旅行記②

二日目の朝は7時におきてニュースを見ました。マルシュミラのことが取り上げられていよいよだー!と血沸き肉踊る心。しかし忘れ物チェックと朝ごはん食べながらバスの時間をチェックし、準備。今年は6000人以上7000人未満の参加か。すでに足が痛くて、どうなるか分からなかったけど、絶対目的地に着いたらなんとかなるはず!重い荷物をもって駅へ出発。 私の目的地はネズクという小さな町。ボスニアで3番目に大きな街であるトゥズラという所までバスに乗り、なんとかしてネズクまでに行く予定でした。というのも、だれもネズクがどこにあるか分からないんですよね。まぁなんとかなると変な自信を持って出発。 トゥズラまでは片道19ボスニアンマルク。そして荷物を積む費用1マルク。つまり10ユーロです。3時間の道のりでしたが、この日も猛暑(私にとって)。日本は湿気が多いですがこっちは感想していて、余計に日差しが強く感じられます。バスの中もカーテンをしめないと暑くて暑くて死にそうでした。 バスからの風景です。どんどん景色が変わるので、ああ、都会を離れていかな街にいくのだなと実感。緑や山が多く家がぽつぽつと立ち並ぶ風景がすごく綺麗に感じられました。 ここが休憩所。みんなトイレするために勝手にホステルに乗り込むんです(笑)そしてみんな一斉にタバコを吸います(笑)ボスニアって、マルボロでも一箱150円くらい。みんなどこでも吸ってますよ。 3時間かかってトゥズラに到着。しかし人もまばらで、なんと英語が通じない!しかもネズクまでのバスもない!どうやって参加者はネズクまで行くわけー?!?!?!しかたないからタクシードライバーに聞いたけど、4人中4人が知らないの一点張り。5人目にきいた人が知ってたので、載せてもらうことに。でも25€はらったよー。人生初だよタクシーにこんなに払うのー。 乗ったのはいいものの、不安が押し寄せました。もしだまされてたらどうしようーーー。おじさん本当はばしょしらなかったらどうしよー。とか思って泣きそうでした(笑)せっかくここまできたのにぃぃ!しかし、リュックを背負い、ボスニアの国旗をぶらさげて歩いている軍団がちらほら。絶対私は目的地につけると確信したのでありました。 しかし、前にも言ったとおり、ボスニアって山がちな地域。ネズクに行くまでの道が急に細く急な上り坂に。車で行くのも大変

ボスニア旅行記①

わたくし、7月5日から6日までボスニアに行ってまいりました!目的はずばり、マルシュミラに参加すること!私の予定として、8日から始まるマルシュミラに備えて、5日の夜にボスニアに入り、6日はサラエボを観光して、7にマルシュミラの出発地点であるネズクに到着するというなんともアバウトな予定を立てて単独サラエボに向かったのです!今回はサラエボの旅をご紹介します。 この写真は私が2泊滞在したホステルであります!このホステルは私が予想していたよりもメインバスステーションよりも遠いところにありました。到着したのが夜22:00だったので、オーナーに迎えに来てもらいました。無理なお願いにもかかわらず、迅速に対応していただいて本当に感謝しております。 ちなみに一部屋6個のベッドがありましたが、私の貸切。ちなみに一泊9ユーロです。知らなかったんですけど、ホステルってキッチンとシャワーがついてるんですねー。食事はでないけど、自分で材料かって料理できるんだーとか思って凄く快適に過ごさせていただきました。 まずは、銀行とバスの駅いき、両替をして、時刻表をゲットし、観光開始。センターの本屋さんでサラエボのガイドブックを買って、探検しましたー。そこでみつけたのが、 このアリパシャモスク!1560年にアリパシャによって建設されたモスク。首都の真ん中にぽつんと立ってる様子はなんともいえない景観。ここだけすごく静かな空気が漂っているようで、ここはムスリム教の人がいるんだなと実感いたしました。 マルシュミラ以外、具体的なプランはない私でしたが、なんといっても絶対行きたかったのが、Baščaršija!サラエボの旧市街で、トルコ時代の面影が残っているまちで、サラエボ最大の観光スポット。本屋のお姉さんにいわれるままにセンターからまっすぐ歩いていくと、、、 見つけました、この教会。これは、1889年に建築家のロシップ・ヴァンチェスによって立てられたものです。中央にイタリアの彫刻家であるハウスマンが、キリストの心をデザインし、門の中央に置きました。中に入りたかったけど、あいにく工事中。ざんねーん。ずんずんあるいていくと、見えました!旧市街! このとおりおきらびやかなこと!トルコ風のものがたくさん売られていて、面白かった。絶対スロベニアや日本ではない風景なので。本当は色々買いたかったけど、荷物が重く