最近の旅行で訪れた街の情報をアップします。 チェコの南部、チェスキークルムロフ(Cesky Krumlov)はその旧市街の美しさで有名です。 1992年に世界遺産に登録され、旧市街にはヨーロッパで二番目に大きなお城、クルムロフ城がそびえ、およそ300もの中世の建物にあふれています。 街のパノラマ 街の歴史 ボヘミア地方の重要な貿易ルートとして、ヴィトコヴチ家によって1253年、13世紀後半に街やお城の建設が始まりましたが、家系が断絶したため 1302年には、ローゼンバーグ家がお城の主となりました。1602年までローゼンバーグ家は続きまして、その間経済、文化、建築、貿易などが繁栄しました。 1602年ハプスブル家出身のルドルフ皇帝が街の主になり、その20年後にエーゼンバーグ家に当主が変わります。1680年代に、ジョアン・クリスチャン1世によって農業、建築、芸術が発展しました。 1719年にはまた当主が変わり、シュワルゼンバーグ家が1945年まで当主となったのです。18世紀から19世紀までクルムロフは経済危機に見舞われ、2度の世界大戦によって街は荒廃してしまいます。 第二次世界大戦後まで、クルムロフの住民の大多数はドイツ系でした。 第一次世界大戦の間にクルムロフを含むボヘミア・フォレスト地域はドイツ領となりましたが、(詳しくはGerman-Austriaと呼ばれてます)、1918年にチェコの軍隊が占領。チェコスロヴァキアが誕生するのですが、1938年再びドイツ(ナチス・ドイツ)に占領されます。 いうまでもなく、二つの世界大戦は街を疲弊させてしまいました。第二次世界大戦後、ドイツ人達はクルムロフを去ります。戦後、チェコは共産主義となり、さらにクルムロフは疲弊。政府は、中世のお城や建物の価値を大事にはしませんでした。多くの人が街を去って行ったのです。 しかし、1989年にビロード革命が起こり、街は徐々に活気を取り戻します。1992年に世界遺産となったのですから、すごいですね。 そんなところへ旅行できて嬉しいー! クルムロフでやらねばならぬこと シンプルでたった二つ。 クルムロフ城観光 やはりこの街に来たらヨーロッパで二番目に大きいクルムロフ城に来ないとダメです。 自由に入れるというわけ
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