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ボスニアへ再び! :)

ボスニアにまた行ってきました。 今回は、友達とその妹とお母さんと行ってきました。 私が大のボスニア好き、バルカン好きと知っている友達が、彼女の親戚が住む村へ招待してくれたのです。この時期はセイント・ピーターのお祝いがあるという事で、伝統的な行事が見れるから絶好のチャンスだという事に。リュブリャーナから車でおよそ5時間かけて東ボスニア、セルビアの国境にちかいむらビイェリナ(Bijeljina)という村に滞在しました。 ついた夜はババ・バイカ(おばあちゃんの名前)が出迎えてくれて、夕飯を食べて、セイント・ピーターのお祭りの一部であるリラを見に行きました! リラとは、桜の木の皮で作った旗のようなものです。子供達は学校に集まって誰が一番リラを奇麗にふれるかを競うのです! リラ。道端で沢山売られてました。一つ2.5euroくらい。 リラに火をつけて歩く少年。 夜には子供達が各家にお菓子を奪いにやってきます。 元気に走ってやってくる子供達は無邪気で可愛いという一言につきます! 一泊目は電気が泊まってしまうハプニングもありましたが、村の人の温かさにほっとした一日でした。二日目も大冒険です!;)

書評 ①

久しぶりでーす。ご無沙汰です。まったくもって何も書いていませんでした。 しかし、本日からエンジン全開で書いていこうと思います。なにとぞよろしく御願いします!!!! 最近本を読む事を始めました。学生なので読む時はどかんと読むのですが、それは教科書的な本。映画やドラマを楽しむように本を楽しむ事を長い事していませんでした。久しぶりに日本語でノンフィクションの本を読みたいなと思い、手に入れたのが石井広太さん作の「レンタルチャイルド〜神に弄ばれる貧しき子供達」でした。 私は彼らの物語に夢中になって、一気に読みました。ここの子供達は親に捨てられ、または売られてしまった。マフィアの連中に故意に手足を切り落とされ、ある物は目をつぶされ、彼らの手下となり物乞いをさせられている。人は普通の貧しい子供にお金をおとさない。障害を持つ割れな子供達に人は沢山の金を払ってくれる。 しかし、彼らが大人になると人は彼らを障害者として見下す。母国語の読み書きもままならず、正しく喋る事ができない彼らに、社会進出など毛頭できるわけがない。彼らは音になってもスラムで生きていく事しかできない。やがて彼らは心底にくんでいたマフィアと同じように、子供を傷つけて彼らから金を搾取する。悪循環が断ち切られる事はないのだ。 子供達は人に利用され、裏切られ、虫けらのような扱いを受け続けている。精神的にも肉体的にも劣悪な環境にさらされ続けている。そんな子供達を支えているのは、仲間同士の友情、誰かに必要とされている気持ち、仲間を守りたいという気持ち、そして希望だ。決して目に見える事のない、でもとても強い感情が、彼らをこんなにも逞しく、強くさせているのかと思うと、非常に心打たれた。彼らはお金も、教養も、知識もなく、その日の食料にも困っている。しかし彼らは人間として大切な物を持っているのではないか。懸命に生きている彼らから、生きる事の尊さを教わったように思う。 私は、人生は自分の意志や努力で切り開いていくものだと信じている。しかし、圧倒的な現実を突きつけられたとき、人は無力だと思った。きれいごとでは絶対切り抜けられないこともある。結局、人は運命や宿命に支配され、その大きな力に逆らえないまま一生終えてしまうのではないかと怖くなった。しかし、それでも私たちにできる事は「懸命」に生きていく事しかない。 ムンバ...

最近のニュースに思う!

最近のニュースというのは、バルカン関係のある事です。 ユーゴスラビア紛争から約19年近く経過していますが、いまだに民族間の憎しみは消えないようです。 当たり前なんですけど、ナショナリズムや分離主義的な思考のままでは、新の和解は望めないと思う今日のこのごろ。 特に、ボスニアはクロアチア人、セルビア人、ボスニア人が共存してきた国家。今は民族ごとに住み分けされて、政治も民族ごとに政党があって、ニュースを見れば、各民族同士、各国同士いがみ合っている状態がとりあげられています。 なんだかな〜と思います。 紛争があってその一部が世界にとりあげられてるけど、人が温かくオープンで、純情で、明るくて、そんな人たちが素晴らしい文化を作り上げられてきて、ここのスロベニア人までその文化を楽しんでいるんです。もったいないです。 紛争は本当に悲惨で悲しいことです。被害者の傷が癒える事はもしかしたらないかもしれないけど、今後生まれてくる新しい世代、今後のバルカンの行く末を考えたら、前を見て協力していくことが絶対大事だと思うんです。 憎しみからは何も生まれないし、手を取り合って、宗教や民族、悲しい過去を乗り越えてほしと切に思います。

Bonの値上げ!

1月になってから学生のミールクーポンである、Študenski Bonが値上がっています。 学生であるなら、誰でもが利用できるこのクーポンの値上げは財布に響きます。 一気に40¢も上がってるレストランもあれば、もうボンがない所もあって、不景気のなみはとどまるところを知りません。近い将来ボンがなくなっちゃうかもしれないな〜。 ボンだけじゃなくて、一般的な物の値段もあがっている今日この頃。 でもアルバイトの時給は上がる事もなく。。日本でも不景気だなんだと報道がありますが、 当時親の庇護のもと生活していた身分として、現実的に感じる事はなかったんですよね〜。 日本のニュースをみていると、平和な国だなと思います。 3月に一時帰省するので、そこら辺もじっくり観察してこようと思います。

Hungarian Revolution and Yugoslavia (2)

The Petofi Circle and the Association of Hungarian University and College Union (MEFESZ) are important organization. The Petofi Ciecle published "ten points", while the MEFESZ published the "six-teen points." Mainly their requirements were similar. 1) Imre Nagy should be a new leader in Hungarian government 2) Soviet armies should get away from Hungary 3) The government should establish new economic policy 4) The government should guarantee equal right and justice. First, students began demonstration on 23 October, 1956 to demand radio building to broadcast their points. However director refused their requests. Soon, AVH began to attack. Immediately the demonstration turned to revolution. Soviet army continued to attack in Budapest. On 28 October, the Soviet army stopped attack, then Nagy established a new government. However, when he knew that the Soviet army would come to attack in Budapest again, he sent a message to the UN on 1st November. In a message,...

Hungarian revolution and Yugoslavia (1)

 I wrote a paper about the Hungarian Revolution 1956.  Actually it was interesting task for me. Today I will write about the revolution. The Hungarian Revolution was the first serious revolt against the Soviet Union's communist regime after the Second World War. The aim of the revolution was to establish a new government, a new economic policy without any Soviet controls. Under the one political party and the Soviet controls, Hungarian people were always under the terror and unsecured.  Matyas Rakosi (1892-1971) conducted total dictatorship in Hungary based on the Soviet system. First of all, the Political Security Department (later re-named to AVH) was set up in Pest.Their task was to eradicate of democratic political party and intellectual work, to monitor mail and phone conversation, even private home.  Actually Hungary had mainly four political parties, such as the Hungarian Communist Party (HCP), the Independent Smallholders (Smallholders), the...

経済危機と12月

12月21日、リュブリャナで大きなプロテストがありました。 スロベニアはいま不景気です。少し給料や税金のことを述べますと、平均月収は、800から900€と言われていて、ちなみに消費税は20%です。学生のアルバイト状況は、だいたい3~7€です。ただし、高額アルバイトは、言語学校や塾のようなところで、だいたいバーやレストランで働く場合は5€がいい方です。さらに、学生でも給料から約22%ほど税金をとられるので、私の場合は300€稼ぐというのは非常に難しいというのが実情なんです。200€ちょっとくらいが毎月の収入でしょうか。奨学金もここは300€が最高額だと思います。クレジットカードは仕事がある人のみ持つ事ができ、ローンも同じ条件じゃないとできません。 特に若者にとっても仕事を探すのは難しく、高学歴の人はドイツやスイスへ移住していい職を探そうとしています。また、大学生はスロベニア人の場合、修士課程までは無料で通えますが、博士課程の場合、全生徒は2000€ほど学費を払っています。しかし、今年の3月から政府は大学へ援助を辞める事を発表し、ノヴァゴリッツァの学生は学部から2000€払わないといけないそうです。 以前物価を紹介した記事を載せましたけど、少しずつ値段が変わっています。 バスも一回乗るたびに、1.2€になり、学生ボンもあるところでは値上げしています。あるところはコーヒーが1,8€になってしまいました。野菜なども、少しずつですが値上げされています。なのに、収入は下がる一方で、仕事がないという状況です。また、銀行のアカウントもマイナスを記録する事もある中、そこでスロベニア人達がデモを起こしたわけです。 物価は日本より安いと思いますが、住んでみると当然の事ながら収入も低いんですよね。 この危機は今に始まった事ではないと言いますけど、心配な状況です。 しかし、12月、ここはveseli decemberといって、happy decemberという事なのですが、街の中心は、特に夜に連日人で賑わいました。 ホットワインを片手にイルミネーションを眺めるひとでごった返してました。お店ではクリスマスのプレゼントやセールの商品を狙って沢山買い物をする人もいたし。人の話ですが、実際40%の人はもろに影響を受けているそうですけど、あとはそこまで深刻な事態ではない...