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7月, 2012の投稿を表示しています

ボスニアへ再び③

翌日は、歩いてポトチャリのメモリアルセンターへ向かいました。 猛暑でしたが、すごい人だかり。普段は人気のないスレブレニッツァですが、この日はボスニアまたは、世界から人が集まるそうです。ムスリムのお祈りの歌が響き、道路にはチェバプチチやジュース、コーヒーが売られています。 途中でなんと私の名前を呼ぶ声が聞こえました。 ふとみると、私の仲間のうちのひとりではありませんか!うわあああああ! もう見つけた瞬間人をかき分けてハグしたよー。それはまるで映画のワンシーン。 元気?学校はどう?今年の調子はどう?とかたわいない話をする私たち。去年は私、ボスニア語全然わからなかったけど、なんとかできてすごく嬉しかった。 みんな私の事を覚えてくれて、昨日あったように普通に、でも暖かく再会できて、心にしみました。野原でコーヒーを飲んだ後、私たちは博物館に向かいました。 中に入ると、ただっぴろいコンクリートの部屋。 壁には当時非難していた人々の写真や、発掘作業の様子、親をなくして彷徨う子供の写真などが展示してありました。更に奥に進むと、光もあたらない暗い場所が広がります。携帯電話の灯りをつけて進みます。すると血痕と思えるようなもの、狙いを定めるために描かれた的のようなものが壁に描かれており、生々しい跡が残っておりました。ただただ重くなりましたね。 言葉もなく、そのまま私は一旦友達に別れを告げて宿へ荷物を取りに向かいまして、ファミリーに別れを告げてサラエボへ向かいました。 次はサラエボ偏です。

ボスニアへ再び②

簡単な自己紹介をして、部屋へ案内された私はいささか緊張しておりました。 どうやら、初めて本物の日本人を見たようで、ホストファミリーの人もなんだかそわそわ。 でも、テラスに案内してくれてコーヒーと自家製のジュースをごちそうになりました。 1時間くらい話した後、私は歩いてポトチャリのメモリアルセンターに行きました。 猛暑だったので、扱ったけど、途中ピースマーチに参加している人を見て、一気に興奮し早歩きで向かいました。しかし、本当に暑い。照りつける太陽の日差しの強さと言ったら、もし日焼け止めを塗らなかったら、絶対やけどしちゃうよーと思う程です。 30分くらいかな?歩いてメモリアルセンターに到着。すでに人ごみで一杯です。去年の今頃はまだ森の中を歩いていたので、この光景を見るのは初めて。たくさんのバス、タクシー、車が道に駐車され、たくさんの警察がうろうろ。そして今年埋葬される遺体をおさめるお墓が建てられていました。このお墓は緑色をしているので、どれが新しいお墓なのか一目瞭然です。 早速博物館の方へ向かいました。たくさんの人が日陰で休んでいます。博物館はこの日閉鎖されていたのですが、向井側にある大きな部屋にたくさん人が入っている様子。私もその波にのって向かいました。なんとそこには、緑の棺が並べられていました。そうです。今年埋葬される遺体がならんでいたのです。今年は520体が埋葬されます。死者を特定するのにDNA鑑定などをやるので、時間がかかるんですね。棺には、生年月日、名前があり、誰がいつ死んだのかわかります。ただ広い部屋に均一に並べられている棺をみると何とも言えない重い雰囲気。家族が棺と対面して、涙する光景は何とも辛いです。17年後にやっとですからね。そこに群がるフォトグラファーが一斉にシャッターを押している光景を見ると・・・。おそらく来年も何百体の遺体の身元が判明し、埋葬される事でしょう。 そこを離れて、周りをブラブラ。日本人が手ぶらで歩いている様子をまじまじとみるボスニア人の視線に耐えながら(笑)かつてテントを建てて泊まった場所に行きました。まだ友人はいない様子。時が経つのは早いなと重い、そこを後にしました。 また歩いて戻る中、途中車が私の横にとまったのです。こわいよーと思ったら、助手席に座っていた少年が私に席を譲ったではありませんか!かれが後部...

ボスニアへ再び。

本当に、本当にお久しぶりです。 久しぶりに書くブログは、先日訪れたボスニアです! 去年の今頃私は初めてボスニアに行きましたが、そのときは不安で不安で仕方がありませんでしたが、今回はただ楽しさだけ。一度行くと、旅支度もさささっとできるものなのですね。 7月9日から12日まで滞在しました。目的地はスレブレニッツァとサラエボです。 去年はmarš miraというイベントに参加しましたが、今回は去年見る事ができなかったミュージアムを見る事と、友達達に会う事を目的に行きました。計画では、スレブレニッツァは日帰りの予定で、残りはサラエボ、そしてモスタルへいくはずでした・・・。 しかし、計画通りには何事もいかないものでして。。今話します(笑) リュブリャナを7月9日の夜7時15分のバスで出発。片道45€の切符で行きました。 国境を2回超えてサラエボに着いたのは朝の4時55分。スレブレニッツァ行きのバスは1日一回、朝7時10分のバスだけ。帰りのバスも夕方4時半の一本だけなので、逃すわけにはいかずすぐに切符を買って、待ちました。片道20マルク。つまりだいたい10ユーロです。 しかし、待っても待ってもバスがこないんですね。翌日はスレブレニッツァで戦死者を弔うセレモニーがあるので、一般人からフォトグラファーの人まで長い列を作って待ってたのに、遅れたやって来たのは、違う行き先のバス。 ボスニア人のおばちゃんがバスについて聞くと、「もういちゃったよ」と運転手。 「そんなことない!」とか議論が始まって、数分後に違うバス停にスレブレニッツァ行きのバスが到着。安心したけど、道路の渋滞でなかなかスレブレニッツァにつかないのです!なんと6時間もかけてスレブレニッツァに13:30ころ到着。 私も馬鹿だったのですが、その駅から、ポトチャリというメモリアルセンターは6キロもあるんですね。何も食べてなかったし、猛暑のなか重い荷物を引きずって行くのは嫌だ!ということで急遽泊まることにしたのですが、宿がない(笑) 途中でみた看板にsobe(ボスニア語で部屋)というのをみたので、そこを頼って部屋をたのむも、今は満杯で部屋がないとの話。しかし、宿主が知り合いに頼んでくれて、そこに泊まらせてもらう事に!計画しないでもなんとかなるものですね〜。 宿主も彼の知り合いも英語が話せたので、...